今日、哲学の先生と話をしてきた。
彼が思うには、人の生きている理由もまた宗教の存在があるからこそ見つかるものであって、自分の自我を放棄して考えるからこそ見つかるものであるらしい。
要するに、どんな試練も神が与えて、自分以外の誰かに何かを及ぼすから与えられていたり、その人がその試練を越えることが出来るからこそ与えられるものというわけだ。
私は別に宗教理念なんて無いけど納得がいかず。
困難は越えられるから与えられているっていう考えは時々思ったりもするけど、努力だけで全てが解決するとは絶対に思えないのだ。
突拍子もないけれど、その論理だと努力すれば魔法は使えるようになるという事になるからね。
そして越えられない困難を神は与えないと言うならば、事故などの予期せぬ事態で命を落とす事になった人はどうなるのかと。
聞いてみると、「それはその物事が起こった人を中心で考えるから見えないんだ。その試練はその人だけじゃなく周りに繋がる事なんだ。」と答えられた。
何だか納得のいかない顔をしていると、それを見て、
「それは君が自我を捨てられていない証拠なんだ」
と言われた。自殺しようとする人もまた自我を捨てられないという証拠らしい。
自我を捨てて物事を受け入れる事の出来ない人というわけだ。
そう言われてもやっぱり納得がいかず神妙な顔をしていたり。
先生曰く、昔先生もそうだったようだ。
しかしこういう哲学の事を考えながら歳を取って、色々あって「自我を捨てて受け入れる」事に気が付いたらしい。
私はまだ先生より若すぎるからこそわからないのだろうか。
以前よりプラスの方向に動き出しているとは言え、未だに"ふっ"と消えてしまえたら。という考えは頭の隅から消える事は無い。
相変わらず鬱かどうかは疑わしいけれど、物心ついた頃からのマイナス思考、異様に嫌な事、怖い事を考えてそれに怯え、起こりうる可能性のある未来を怯えて迎える日々には変わりは無い。
もし私の心の中の何かが壊れているとすれば、物心ついたその頃にはもう既に壊れていたのだろう。
まだ自我を捨てられないから、自殺したいと思うという説が正しければ、私はまだ自我を捨てて物事を受け入れられずにいるのだろう。
逆に、その自我を捨てて、物事を受け入れた時こそが、私が完全に壊れてしまう時なのかもしれない。
彼が思うには、人の生きている理由もまた宗教の存在があるからこそ見つかるものであって、自分の自我を放棄して考えるからこそ見つかるものであるらしい。
要するに、どんな試練も神が与えて、自分以外の誰かに何かを及ぼすから与えられていたり、その人がその試練を越えることが出来るからこそ与えられるものというわけだ。
私は別に宗教理念なんて無いけど納得がいかず。
困難は越えられるから与えられているっていう考えは時々思ったりもするけど、努力だけで全てが解決するとは絶対に思えないのだ。
突拍子もないけれど、その論理だと努力すれば魔法は使えるようになるという事になるからね。
そして越えられない困難を神は与えないと言うならば、事故などの予期せぬ事態で命を落とす事になった人はどうなるのかと。
聞いてみると、「それはその物事が起こった人を中心で考えるから見えないんだ。その試練はその人だけじゃなく周りに繋がる事なんだ。」と答えられた。
何だか納得のいかない顔をしていると、それを見て、
「それは君が自我を捨てられていない証拠なんだ」
と言われた。自殺しようとする人もまた自我を捨てられないという証拠らしい。
自我を捨てて物事を受け入れる事の出来ない人というわけだ。
そう言われてもやっぱり納得がいかず神妙な顔をしていたり。
先生曰く、昔先生もそうだったようだ。
しかしこういう哲学の事を考えながら歳を取って、色々あって「自我を捨てて受け入れる」事に気が付いたらしい。
私はまだ先生より若すぎるからこそわからないのだろうか。
以前よりプラスの方向に動き出しているとは言え、未だに"ふっ"と消えてしまえたら。という考えは頭の隅から消える事は無い。
相変わらず鬱かどうかは疑わしいけれど、物心ついた頃からのマイナス思考、異様に嫌な事、怖い事を考えてそれに怯え、起こりうる可能性のある未来を怯えて迎える日々には変わりは無い。
もし私の心の中の何かが壊れているとすれば、物心ついたその頃にはもう既に壊れていたのだろう。
まだ自我を捨てられないから、自殺したいと思うという説が正しければ、私はまだ自我を捨てて物事を受け入れられずにいるのだろう。
逆に、その自我を捨てて、物事を受け入れた時こそが、私が完全に壊れてしまう時なのかもしれない。
コメント
で「自我」と言うものの存在を私自身は、定義しきれないまま無駄な時間を弄している気がします。
今の私の認識系には実の処、正負の符号が無いんです。
単純な絶対値・只の量でしかないんです。
在る者はあるし、発生する事象の確率は常に0にはならない。
できる事・遣る事が可能な事、それを潰す。
まぁ、躯の方は正直でしてね。
完全に左手の感覚はマヒしました(笑)
刃物で切り裂けば、血は流れるんですが、ライターで煽ってみたぐらいでは痛覚が無い。
ついでに、三代欲望も恐怖感と免疫力も通常運行時の3割程度まで落ちているかなぁ?
世界の中心が己であるなぞと言う妄想を肯定できるまで枯れてはいませんが...
「倍返しはデフォ」と言う事で、はい、只の意地です(笑)